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金田一小学校入口より駅の方へ百米、左側にお仮屋の地蔵堂があり、この地蔵様は、今から約二百五十四年前の元文元年丙辰歳(ひのえたつとし)に大阪京橋で工作されたものを、一戸町の廣全寺に届ける様に地蔵様の體(からだ)に彫ってある。多分、廣全寺で注文したものであろうか。 大阪より太平洋回りで海路を八戸港まで運ばれ、八戸港より陸路を土車で一戸町まで運ばれる途中、金田一昔の旧道(現在の馬場の地の線路添い)沢田索さんの裏方で一本杉のある所へ来て、一服休みをしていた。その後、人夫達が再び土車を引こうとしたが、どうしたことか、全然動かなくなった。 近所の人達をたのんで引っ張って見たがびくともせず、不思議に思った村人がこれは何かの祟りなりやと巫女(イタコ)に拝んでもらったら、それは金田一の人達から拝んでもらいたいとのことだったので村人達が安心して、その地蔵様をこの地の場所へ祀ることとした。一方、一戸町には新しい地蔵様を造って送ったという。 それ以来、この地を安住の地と定めていた地蔵様も、百五十年間崇拝されていた場所を明治二十四年、東北本線のためにその場所が線路にかかるので立ち去ることになり、現在の(当時村はずれのお仮屋)お旅所へ移されたものである。 この地蔵様は延命地蔵尊であり、今はお堂の中に安置されている。目の神様と子供の健やかな成長を願ったものであり、昔は遠くから崇拝に訪れる人で賑わった。 地蔵様のご縁日は、春は三月二十四日、秋は八月二十四日で、ご縁日には部落の人達が各自に手造りのご馳走を持ち寄って、お昼頃より大勢の人が集まり、夜遅くまで賑わっていた。 これが又、農家にとって唯一の楽しみでもあった。秋のご縁日には夜神楽を舞う。外では盆踊りが踊られている。この堂の廻りには、古碑が十基もあり、昔の生活を忍ばせている。 地蔵堂の管理別当は、永代岩崎家で現在岩崎キミさんが管理している。 |