座敷わらしのすむ旅館として有名な緑風荘。その先代の当主であった五日市栄一さんが昭和50年代に座敷わらしについて語ったことがある。この貴重な話は、浅倉圭治さんの手によって「金田一物語(第2集)」としてまとめられ、残っている。座敷わらしに関するエピソードを抜粋し掲載する。 今でも緑風荘の座敷わらしはテレビや雑誌にも紹介され、全国的に有名である。座敷わらしにあいたくて緑風荘を訪れるお客様も多いという。

 昭和の五十六年、私が早稲田で遊んでいた三年生の時、私は卒業したら田中(義一)総理の秘書になることに決まっていた。当時村会議員であった湯端の和七郎も東京に時々出てくるものだから、この事を相談すると「政治をやるなら東京に居た方がよい。でも結局はお前は一人息子なのだから田中総理の秘書などやめて家に帰ったほうがよいさ」と言うのである。私は家に帰って相談してみようと、その夏一週間程帰ってみた。そのとき、私は生まれて初めて座敷わらしというものを見た。

 私が帰郷すると仲間が四、五人訪ねて来て、座敷で飲んで解散したのは夜中の一時頃であった。私はその頃、一行でも二行でも本を見ないと眠れない癖がついていた。当時は電灯がやっとついて、十燭光ぐらいの薄暗いものであったから、その電灯を低く下げて本を見ていたら、枕元に人間のようなものが立っているのに気づいた。とたんに私はかなしばりのような状態になった。そしてそれが自由に戻ったと思った時には何も見えなかった。

 かつて私の爺どもはよく座敷わらしの話をしていたけれども、明治の頃ならともかく、この昭和の御代にそんな事は絶対ある筈はないと思っていた。しかしどうもなんだかおかしい、ようしそれではこの正体を確かめようとこの部屋にずっと泊まった。昔はあの部屋は客間で、うちの者はやすまない。私は独身時代だからその部屋に泊まっていた。また次の晩の二時頃それがでてきた。こんどははっきり見えた。子供であった。男の子供で白っぽい着物を着て、おかっぱ頭であった。立って私のほうを見ていた。すると一瞬ざわっとなって、体が苦しいようになった。そしてまもなく自由になった。これだ、座敷わらしはと私は思った。それを私は三晩つづけて見た。家に泊まるのは今夜で終わりだという晩にまた現れた。今度は子供の後にもう一人見えた。それは女であった。その瞬間私の母ではないか、その幽霊ではないかと思った。私の母は私が十四才のときお産で亡くなっている。しかしその母より若く見えるし、それに御殿女中みたいな内かけを着ていた。私はこの子の母であろうと考えた。

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