山田町は昭和30年3月1日、山田町、豊間根村、大沢村、織笠村、船越村の1町4村の合併により誕生した町です。遺構、遺物からみると縄文時代早期の約6500年前には、当地方には人々が生活していたと思われます。
文献に下閉伊、山田地方と思われる記述が見られるのは、続日本記の霊亀元(715)年に、蝦夷の須賀君古麻比留が、「閇(へい)村に郡家を建てて下さい」と願い出ており、この地方にも国政が及んでいたことが推測されます。
慶長18(1613)年、大槌町に南部藩の大槌城代が置かれ、寛永9(1632)年には大槌代官所となり、明治維新まで続きます。寛永20(1643)年には、オランダ船ブレスケンス号が水と食料を求めて山田湾に入港し、オランダ人10名が南部藩に捕えられ、大槌経由で江戸に護送されています。
享保20(1735)年には、南部藩の領内が33通りに整理され、豊間根地方は宮古代官所に、船越、織笠、山田、大沢地方は大槌通りとなり、大槌代官所管内の23カ村に含まれました。
明治22(1889)年の町村制施行により、豊間根村、大沢村、山田町、織笠村、船越村の1町4村が誕生し、昭和30(1955)の合併まで続くことになります。 |
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| 三陸縦貫道山田道路ができる前の山田町。右下に浮かぶ大島、小島と養殖棚が印象的。峠を越えた向こうに豊間根地区が見える。
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