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金田一の八坂神社宮下周辺で、年に一度の旧暦五月四日の節句市が早朝五時頃から大賑わいを見せていた。昔の物々交換時代から、約三百年余りもの長い間続いてきた、金田一名物の節句市が、大東亜戦争最中の昭和十八年頃、物資不足と統制経済の狭間の中で、遂にその姿を消してしまった。
節句市は、道路を挟んで両側に一丁程(百米余)の処に、出店が並び、東側の方は八戸港から来たと思われる魚屋さん達、戸田屋さんの前に戸板の上に大きな鮪を横たえて四角に切って藁縄(わらなわ)で結いて売っている元気の良い港衆の印象が今も残っている。
もうすぐ田植が来るので各家では「鮪とさが」の魚は節句にしか食べられない最高の魚ということで買い求めていた。
どこの店にも「からこにし」(身欠にしん)は山と積んであった。昆布、わかめ、煮干、乾たら、飛魚と乾物、しじみ貝の計売りなど、大量の魚類はお昼頃には一品残らず完売される。
又、道路西側、現在の菅原禎悦氏宅前の道路上に筵を敷き、諸品を並べて売っているのが地元の人らしい。長芋、牛蒡、人参、にどいも、又香煎、漬物、シグリなど「菖蒲とほど芋」は節句市にはなくてはならぬもの、夜は菖蒲湯、節句には食べないと蛆(うじ)になるという。ほど芋は地元の店で茶碗で計って売っていた。
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