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昔の凶作物語

 江戸末期、南部藩領内の北部地方は凶作続きで、どこの農家も貧困の狭間に立たされていた。長い冬を越す頃には雑穀も残り少なくなり雪が消えると、待ちかねたように山へ行き、ところ、ほど芋、山芋、葛の根等食べられるものを探し求めて来て糧の一部とした。

 そんな最中の慶応元年(一八六五)の四月中旬、金田一の某家に三男の子が生まれた。

 この時未だ乳離れしない兄二歳が居たために、今、生まれた赤ん坊をどうしても育てることが出来ず、二週間後の夕刻産着を着せてこもにくるんで密かに山へ連れて行かれ捨てられた。

「許してけろよ」と心で嘆き詫び言をかけて母親がそっとその場へ捨てて、家へ帰ろうとするが赤ん坊の泣き叫ぶ声が母親の脳裏にしみついて離れない。後髪を引かれる思いで家へ戻る。

一晩中寝つかれず夜を明かした母親の心境はいかばかりであったろう。実に残酷極まりない行為であるが、しかし飢餓最中故に兄を育てなければならなかった親達の必死の策だったのである。(三男の赤ん坊は、兄の犠牲となって「間引き」されたのであった)

 捨てた三日後の早朝、山へ線香を持って弔いに行った母親が赤ん坊は既に泣き叫ぶ力も尽き果てて死んでいるであろうと傍に付寄ると、眼に蟻が群がりついていた。

急いで払い除けようと手を触れると、もうしっかり冷たくなっていた。その一瞬唇が動く感じがした。

頬へ耳をつけると未だ息の音が微かに聞こえるではないか。

吃驚した母親が直ちに抱き上げ一度は「間引き」した赤ん坊だったが、これだけ強い命を持って生まれたこの子は何か訳がありそうだと家へ連れ帰った。


 その後この子は元気に成長して数年後一家を支えるようになるが、蟻によって冒された眼の視力は三割程しかなかった。それでも農家の仕事は人の倍も働いて、やがて妻を娶り七人の子を儲けるが小作農の貧しい生活の連続だった。

 当人が六十五歳に達した時、私は一度死んだ身なので神になって村民を貧困から救ってやりたいといって断食をして四十八日目の朝昇天した。この人を祀ったのが岩舘山にある道根山神社である。


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