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江戸末期、南部藩領内の北部地方は凶作続きで、どこの農家も貧困の狭間に立たされていた。長い冬を越す頃には雑穀も残り少なくなり雪が消えると、待ちかねたように山へ行き、ところ、ほど芋、山芋、葛の根等食べられるものを探し求めて来て糧の一部とした。
そんな最中の慶応元年(一八六五)の四月中旬、金田一の某家に三男の子が生まれた。
この時未だ乳離れしない兄二歳が居たために、今、生まれた赤ん坊をどうしても育てることが出来ず、二週間後の夕刻産着を着せてこもにくるんで密かに山へ連れて行かれ捨てられた。
「許してけろよ」と心で嘆き詫び言をかけて母親がそっとその場へ捨てて、家へ帰ろうとするが赤ん坊の泣き叫ぶ声が母親の脳裏にしみついて離れない。後髪を引かれる思いで家へ戻る。
一晩中寝つかれず夜を明かした母親の心境はいかばかりであったろう。実に残酷極まりない行為であるが、しかし飢餓最中故に兄を育てなければならなかった親達の必死の策だったのである。(三男の赤ん坊は、兄の犠牲となって「間引き」されたのであった)
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