|
この地方の農家では昔から「稗めし」を常食として幾代にも亘り生活して来た。私達も「稗めし」の時代に育った一人である。その後、大東亜戦争終結を境に、何時の間にか次第に「稗めし」が時代の流れと共に、この世代から姿を消した。戦後生まれの若者達には「稗めし」の食味は知る由もないが、かと言って好んで炊いて食べる程のものでもない。
昔は稲作は度々の凶作に合い、又収穫された米の一部を御上(政府)に年貢(税)として上納、残りの米を絶えず凶作の非常時に備えて取って置くほどの米しかなかった。勿論米だけのめしは御上からの許しが無かったせいもあって、「稗めし」は農家にとって命の綱とまで言われた所以(ゆえん)である。
本来は米飯程食味のよいものはなく、栄養価値だって他に勝るものはないだろうが、昔から南部藩の北部地方の稲作は、偏西風(ヤマセ)が多く吹く地方故に、その年の天候によって収穫が大きく左右され、豊作などと言う事は希であった。二、三年に一度は覚悟をしなければならない凶作との戦いで、明け暮れることもしばしば。又何年間の内には皆無の歳もあると言う。
|