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長瀬の戦い

 二戸市内長瀬の鉄橋下の、十文字川にかかっている小橋を渡って約一丁三十間位(百五十米)南の馬渕川対岸で、天正十九年(一五九一)八月二十二日、今から四百年前に、中央では豊臣秀吉が天下統一を進めていた頃、三戸城主南部藩二十六代の信直公の軍勢と、福岡九戸城主九戸政実軍勢が馬渕川をはさんで九戸城攻絡の前哨戦がここで展開された。(現在は国道が出来て橋がかかり堀野に行くことが出来るが、当時は勿論橋などなかったので、渡川の出来る場所を選んで往来した。)

 九戸方軍勢は堀野対岸に、前衛隊長は政実の弟伊保内正常と、久慈備前が大将となって指揮する。一方、南部方軍勢は武将桜庭安芸と大光寺彦三郎等八百人余り。

南部方はなんとしても馬渕川を越えなければならず、これを阻止ししようとする九戸方。川の中で騎馬戦は激戦となり、戦況は一進一退を極め、当日は決着が付かず、とうとう翌日に持ち越されるに至った。


 朝を迎えた九戸方軍勢が十時頃になって攻勢に出た。その時正常は南部方軍勢の一人佐藤彦三郎という者と馬上で組み合ったが、そのままどっと馬から落ちてしまった。

正常にくみつかれて危なくなったとき、彦三郎の弟伊五郎という者が正常におどりかかった。二人にかかられた正常は形勢逆転して遂に捕らえられる身になった。

それを見た久慈備前は正常を救えと激怒したが、結局正常を取り戻すことが出来ず、退却させるを得なかった。


 この長瀬の戦いは両者とも死者百人余りを出したが、長瀬の戦いは九戸方の敗走に終わったのであった。

 勢い付いて川を突破した南部方勢は、堀野を前進、信直は武内神社に戦勝を祈願し、大平、上野を通り金録山に至り、陣屋を張ったのである。

 この陣屋は現在の福岡高校のある場所で、九戸城の全部を見下ろすことが出来る最適の場所である。これ以来金録山を陣場山と呼ぶようになった、という。


長瀬の戦い以後、上方軍との連合軍六万余りと、九戸勢五千人でよく奮起したが、謀略もあった九月四日は悲劇的にも九戸城が落城した。



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