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昭和十年頃の晩秋のことであった。山はもう落ち葉も終わっていた。或る時、知人等三人で金田一の裏山の曲坂(マガチャカ)へ薪(たきぎ)を取りに、弁当箱に常食の稗めしに味噌大根を詰込んで曲がりくねった坂を登ること二十分の処がたきぎ山だった。
此の辺りの山はほとんど金田一の某地主様の山で春先に部落の人達が雑木林を地主様よりたきぎとして買った。その場所の権利分を、春に切り倒せなかった残りの分をたきぎ取りをするのだった。冬の燃料として準備するのである。
お昼頃になると、お互いに声をかけあって見晴らしの良い場所で昼食するのだが、この時連れの一人が風呂敷を解いて弁当箱が空っぽだと騒ぐ。包みもそのままの状態だったという。
「おかしいなあ」という。
今朝確かに詰めてきた筈だというが、皆は冗談交じりに空の弁当箱を持って来たのではなかったかと冷やかすが、「そんな筈がない」という。
辺りを見廻したが、その辺には何も見当たらない。他の誰かが食べて空っぽにしておいたかも知れないと疑ってみたが、ここには誰も来た様子はなかった。(だがこの頃は凶作続きの食糧難の時代なのでこういうこともあり得たのである。)
無くなった物は仕方がないとお互いの弁当を分け合って食べたが、その日の夕方は皆腹六分目なので早めに家に帰った。
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