|
金田一の秋葉地区に某家があって、この家の長女で小学校五年生の某子さんが、昭和十四年の秋頃、福岡の長嶺に当時私立の福岡病院があって、ここの外科病棟に入院して居った。
その頃の福岡病院は、金田一出身の玉懸謙治医師が東北大学医学部を卒業して創設され、院主となって経営をされていた、県北唯一の大きい病院だった。現在の県立福岡病院の前身であります。
その頃の病院は何処の病院でも自炊しながら付き添いをしていた。やはり福岡病院でも病室前の廊下に木箱を置いてコンロを上げ、脇に炭袋を並べて、炭火で自炊しながら患者と共に生活していた。(その頃、私も寄宿しながら病院で働いていた)
外科に入院している娘さんには三十四、五歳の若い母親が病状を気遣いながら付き添っていた。その後、次第に経過も順調に回復に向かい、日中などは、手放せる程まで元気になったので、母親は朝食を済ませ看護婦さんにお願いして、日中は家へ帰って仕事をして、又夕方になると病院へ戻り、夜の食事の支度をして、待っていた娘に食事をさせて、次に選択と、身体の休まる暇もない毎日だったが、その甲斐あって近日中に退院するまでになった。
|