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饅頭を取られた母親 (其の一)

金田一の秋葉地区に某家があって、この家の長女で小学校五年生の某子さんが、昭和十四年の秋頃、福岡の長嶺に当時私立の福岡病院があって、ここの外科病棟に入院して居った。

 その頃の福岡病院は、金田一出身の玉懸謙治医師が東北大学医学部を卒業して創設され、院主となって経営をされていた、県北唯一の大きい病院だった。現在の県立福岡病院の前身であります。

 その頃の病院は何処の病院でも自炊しながら付き添いをしていた。やはり福岡病院でも病室前の廊下に木箱を置いてコンロを上げ、脇に炭袋を並べて、炭火で自炊しながら患者と共に生活していた。(その頃、私も寄宿しながら病院で働いていた)

 外科に入院している娘さんには三十四、五歳の若い母親が病状を気遣いながら付き添っていた。その後、次第に経過も順調に回復に向かい、日中などは、手放せる程まで元気になったので、母親は朝食を済ませ看護婦さんにお願いして、日中は家へ帰って仕事をして、又夕方になると病院へ戻り、夜の食事の支度をして、待っていた娘に食事をさせて、次に選択と、身体の休まる暇もない毎日だったが、その甲斐あって近日中に退院するまでになった。

 母親が夕方病院に戻るときには、何時でも必ず何か珍しい食べ物をつくって持って行き、娘を喜ばせるのだった。

 或る日の夕方、仕事を早めに切り上げて、自家製の饅頭に餡を一杯入れてつくり、同病室の人や、看護婦さん達にも少し宛分けて上げようと、大きな風呂敷きにしっかりと包んで背負い、病院へと向かった。

歩く足は早くとも秋の日は短く五十分程かかり病室に入るのだが、何時も日が暮れて薄暗くなっている。(当時未だJRバスは運行していなかった。福岡町内だけは民間の小型バスが元北福岡駅−長嶺間を一日数回往復していた)。やがて長瀬橋を渡る都右手土手が大木の杉木立で、うっそうと茂っていて、昼尚薄暗く薄気味悪い処だった。

ここが彼の有名な昔から狐達の溜まり場で、この川岸に人を騙した時使う野天風呂が数箇所あった。この界隈は俗に言う大川原毛の「オカラギかつこ」女狐の縄張りで、堀野一帯を支配していたことも母親は知っていた。


饅頭を取られた母親(其の二)へ続く>>>


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