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”この道順は、私達が子供の頃、旧暦の四月八日の米沢の薬師様のお祭りに、心わくわくさせながら通った道であります。”ここまで来ると「かが様」も心配ない、鉄道沿いに一直線六丁ばかりで家に着くのだが、何時も「とらこ」は家までお供をしていたのだ。
家に入った「かが様」が中から用意してあった、狐の大好物てんぷらを「それっ!駄賃だよ。」と言ってその都度与えていた。
こうして一年に数回、同様のことが繰り返されて幾年間も「かが様」と狐は、お互いに上得意様の立場にあったのである。それにしても「かが様」が朝早く金田一に出てくるのを何処かで見ていて、帰りを待って居るのであろう。
この狐は大正初期頃「岩舘いわこ」に支援して蒸気機関車に化けて本物の蒸気機関車と衝突した時の「トトメキとらこ」であるかは分からない。又、世代が替わって、先代「とらこ」の習性を受け継いで世襲した若い何代目かの「トトメキとらこ」であるかは不明である。何れにしても「かが様」を道案内してくれていた狐も「トトメキとらこ」と呼ばわれていた。
当時でも未だ金田一の三狐の役者ぶりは、所々に於いて世間を賑わしていたし、その一狐の「トトメキとらこ」の名も過去、現在衰えることなく、平成の今日でも、尚昔話として語り継がれている。
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