二戸市商工会


TOPへ 民話目次へ

がが様と狐 (其の二)

 この土橋を境にして、南側は下米沢部落で、ここからは本来「綽名(あだな)」長瀬なわこ女狐の縄張りであるが、トトメキ界隈から送られて来た「かが様」の通行に対しては、何の争いもなく「なわこ」も黙認していたのかも知れない。

 「長瀬なわこ」も下米沢は勿論のこと、西方に「十文字」「深持」部落、南西に「沢内」「米沢外山」など、住み処は昔の「舘主、佐々木和馬の居舘」の後方としていたと言う。

 話は前に戻り、鉄橋下の土橋から南に三丁程(三二五米)の小道、右手は急斜面の小山で直ぐ上は鉄道が通っている。

 小山には、杉や雑木が生え茂っていて、道に追いかぶさるような、昼尚暗い小道を、土橋の袂で煮干しをもらった狐が先方一丁程(百米余)の所へ火を燃やして明るくし、小道を歩き易くしてくれるのである。

火の傍へ近づくと火は又先方一丁程の所で燃え盛り、三丁ばかりの暗い小道も難無く通り抜けて鉄道際の平坦な畑地のある場所へ出た。


 ”この道順は、私達が子供の頃、旧暦の四月八日の米沢の薬師様のお祭りに、心わくわくさせながら通った道であります。”ここまで来ると「かが様」も心配ない、鉄道沿いに一直線六丁ばかりで家に着くのだが、何時も「とらこ」は家までお供をしていたのだ。

家に入った「かが様」が中から用意してあった、狐の大好物てんぷらを「それっ!駄賃だよ。」と言ってその都度与えていた。


 こうして一年に数回、同様のことが繰り返されて幾年間も「かが様」と狐は、お互いに上得意様の立場にあったのである。それにしても「かが様」が朝早く金田一に出てくるのを何処かで見ていて、帰りを待って居るのであろう。

 この狐は大正初期頃「岩舘いわこ」に支援して蒸気機関車に化けて本物の蒸気機関車と衝突した時の「トトメキとらこ」であるかは分からない。又、世代が替わって、先代「とらこ」の習性を受け継いで世襲した若い何代目かの「トトメキとらこ」であるかは不明である。何れにしても「かが様」を道案内してくれていた狐も「トトメキとらこ」と呼ばわれていた。 

 当時でも未だ金田一の三狐の役者ぶりは、所々に於いて世間を賑わしていたし、その一狐の「トトメキとらこ」の名も過去、現在衰えることなく、平成の今日でも、尚昔話として語り継がれている。


<<<がが様と狐(其の一)へ戻る

次の昔話へ>>>

TOPへ 民話目次へ

本ホームページに掲載の記事・写真・映像などの無断複製、転載を禁じます。
すべての著作権は二戸市商工会に帰属します。

〒028−6101 岩手県二戸市福岡字横丁24  
TEL:0195−23−4361   FAX:0195−23−4363  
メールアドレス:nishoko@rnac.ne.jp
Copyright:(C) 2007二戸市商工会.All Rights Reserved.