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目時ナ爺様と狐 (其の一)

 金田一に秋葉地区に、藩制時代より続いている旧家本田家がある。この家の屋号を今でも”駅送”と呼んでいる。昔馬の背で諸品物を運搬し、町から村へ、村から町へと、遠くは鹿角方面まで運んだという。この駅送が馬継ぎの中継所を営んでいたので、その屋号が今でも”駅送”と呼ばれている。

 この家に昭和の初期頃、県北境の目時部落から来ていたという一人の爺様が住んでいた。親戚だったかどうかは分からないが、大分年老いた爺様だと思っていたが、五十歳前後だったようである。爺様の本名は知らないが通称「目時ナ」と呼んでいた。

その「ナ」の意味は不明である。当時の本田家の当主さんは何代目の方か分からないが安造さんで、飴や駄菓子など他に煎餅も焼いて売っていた。私も向かいが店なので度々買いに行ったものである。安造さんは当時金田一村野区長さんの役もやっておられた。(現在孫分に当たる敏実さんが家系を継いでおられる)


 この家で目時ナ爺様が魚の行商をしていた。毎日のように塩叺(しおかます)に、夏期には塩鱒(しおます)、乾鱈(はしたら)、乾物類などを背負って部落を廻り歩くのだった。一軒一軒声をかけての商売は大変だったろう。冬期になると木箱に生魚を入れて背負い、雪のある時などには橇(そり)も利用していた。

行商先は大体決まっていて、先ず小野部落を振り出しに野々上部落に向かった。お得意様に立ち寄りながら次から次へと売り歩き、時によっては、この先の長久保までも足を延ばすことさえあった。

そうして帰りはまた野々上に戻って、野々上分教場の下の畔道を通り、何度か曲がった急坂を登ってようやく外山部落へ入ってくる。この部落を一巡して、菖蒲沢を最後に帰途に向かうのが毎日の目時ナの道順であった。


 初夏のある夕暮れ時、菖蒲沢部落へ着いたときは既に辺りは薄暗く、足元がようやく見えるぐらいだったが、菖蒲沢部落の外れの道端にある墓地を横目で見ながら、岩舘山の頂上まで来ると、もうすっかり暗闇となり、昼なお暗い木立の中の坂道を降りはじめる。

「ここは昔から名に聞こえし綽名(あだな)女狐(岩舘いわこ)と娘(きんこ)の住み処である」ことぐらいは知っていたが・・・。



目時ナ爺様と狐(其の二)へ続く>>>

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