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巫女は大変嘆き悲しみお寺の境内に小さき藤を植え「此の藤ある限り金田一には大きな市日が立たぬように」・・・と呪い、子供を失ってからまもなく愛し子に後を追うかのように亡くなった。其の後も金田一には依然として、毎年毎月例日の如く大混雑を極めて賑わう市日は繰り返されたが、然し彼の巫女の呪いの為か、その都度怪我人や死ぬ者が出た。
それ以来、人々は「いたこの呪いなり」と怖れ、市日に出て来る人も少なくなり、遂にかの盛んな金田一市日は自然に廃れてなくなったと言うことである。尚、今でも長寿寺境内の「祈り藤」をきると血が出るとと言いふらされ誰も手を触れぬようにしている。
その後一年一回五月四日の節句市日は大分賑わって昭和十八年頃まで続いた。市日を再開してくれるよう、二百三十年前の宝暦十三年三月(一七六三)に金田一の百姓達が福岡代官所に申し出た古文書が残っている。
昔は銭で商売もしたが、物々交換が多く八戸方面から魚や乾物等地元では稗・粟・麦・籾・長芋・牛蒡などと交換してお互いに食生活をまかなっていたようだ。総ての品物が交換材料になったという。お寺の境内の藤は二戸市天然記念物に指定され保護されている。
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