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金田一小学校入口より駅の方へ百米、左側にお仮屋の地蔵堂があり、この地蔵様は、今から約二百五十四年前の元文元年丙辰歳(ひのえたつとし)に大阪京橋で工作されたものを、一戸町の廣全寺に届ける様に地蔵様の體(からだ)に彫ってある。多分、廣全寺で注文したものであろうか。
大阪より太平洋回りで海路を八戸港まで運ばれ、八戸港より陸路を土車で一戸町まで運ばれる途中、金田一昔の旧道(現在の馬場の地の線路添い)沢田索さんの裏方で一本杉のある所へ来て、一服休みをしていた。その後、人夫達が再び土車を引こうとしたが、どうしたことか、全然動かなくなった。
近所の人達をたのんで引っ張って見たがびくともせず、不思議に思った村人がこれは何かの祟りなりやと巫女(イタコ)に拝んでもらったら、それは金田一の人達から拝んでもらいたいとのことだったので村人達が安心して、その地蔵様をこの地の場所へ祀ることとした。一方、一戸町には新しい地蔵様を造って送ったという。
それ以来、この地を安住の地と定めていた地蔵様も、百五十年間崇拝されていた場所を明治二十四年、東北本線のためにその場所が線路にかかるので立ち去ることになり、現在の(当時村はずれのお仮屋)お旅所へ移されたものである。
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