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金田一と堀野の境界に架かっている長瀬橋は昭和十一年に永久橋に架け替えられた。当時の金額にして十二万円と言う膨大な経費をかけて完成した。この時、金田一の住民が一名、人柱となって亡くなった。昭和の御世でも未だ大事業の完成を見るまでには、このような悲惨な犠牲者が出て完成しているのである。 旧長瀬橋は現在の場所より百米位上流に架かっていて土橋であった。私達子供の頃は、福岡町の天狗山商店でしか教科書を買うことが出来ず福岡町の行き帰りこの橋を渡ったが、橋の「あっち」「こっち」に大小の穴があいていて、川が見え危険だったが別に誰も落ちたという人もなければ、怪我をした話も聞いたこともなかった。この橋を荷馬車が列をなして渡ると、橋は上下に揺れているが、馬引きの人達は絶対に橋が落ちないと確信して渡っている様に思われた。又、荷物を沢山積んだトラックも一日に三、四回位だろうか渡っていた。 此の橋の下の杉林の中に堀野界隈を支配していた地名「大川原毛」を「おからぎ」と呼んでいたので名付けられた「おからぎカツコ」女狐が住み処としていた。 初夏の或る朝、金田一の某父様が福岡の市日で買い物して「モッキリ屋」で呑んだのか一杯機嫌で鼻歌を歌いながら長瀬橋に差しかかったのが夕暮れ時だった。 橋の袂まで来ると「金田一に行く道はこっち」だと手を取って誘っていく。よく見ると若い女の姿で、前掛けをかけて手拭いで姉子飾りにして家のある所へ案内され、そこには沢山のご馳走があって呑み食いしていると、今度は風呂に入るようすすめる。裸になって「バラ石」を取ったあとの川岸の水溜まりで「ああーいい湯だなあー」と爽快な気分で入っている内に騙した狐は、その間に市日で買い求めた「魚」や「亀子焼」等の食物を奪い取るのである。 一方、市日から帰りの人達がこの様子を見ていて、某父様へ向かって橋の上から狐に騙されているよと叫んだが聞き入れず、現場まで行き川だと言われて正気を取り戻したが既に市日で買い物をしたものは何一つ残っていなかった。ただ、おろおろするばかりで川辺に脱いであった着衣を身に着けただけで家に帰った。 |
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