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◆ざしきわらし◆


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 座敷わらしのすむ旅館として有名な緑風荘。その先代の当主であった五日市栄一さんが昭和50年代に座敷わらしについて語ったことがある。この貴重な話は、浅倉圭治さんの手によって「金田一物語(第2集)」としてまとめられ、残っている。座敷わらしに関するエピソードを抜粋し掲載する。

 今でも緑風荘の座敷わらしはテレビや雑誌にも紹介され、全国的に有名である。座敷わらしにあいたくて緑風荘を訪れるお客様も多いという。

 昭和の五十六年、私が早稲田で遊んでいた三年生の時、私は卒業したら田中(義一)総理の秘書になることに決まっていた。当時村会議員であった湯端の和七郎も東京に時々出てくるものだから、この事を相談すると「政治をやるなら東京に居た方がよい。でも結局はお前は一人息子なのだから田中総理の秘書などやめて家に帰ったほうがよいさ」と言うのである。

私は家に帰って相談してみようと、その夏一週間程帰ってみた。そのとき、私は生まれて初めて座敷わらしというものを見た。


 私が帰郷すると仲間が四、五人訪ねて来て、座敷で飲んで解散したのは夜中の一時頃であった。私はその頃、一行でも二行でも本を見ないと眠れない癖がついていた。当時は電灯がやっとついて、十燭光ぐらいの薄暗いものであったから、その電灯を低く下げて本を見ていたら、枕元に人間のようなものが立っているのに気づいた。

とたんに私はかなしばりのような状態になった。そしてそれが自由に戻ったと思った時には何も見えなかった。

 かつて私の爺どもはよく座敷わらしの話をしていたけれども、明治の頃ならともかく、この昭和の御代にそんな事は絶対ある筈はないと思っていた。

しかしどうもなんだかおかしい、ようしそれではこの正体を確かめようとこの部屋にずっと泊まった。昔はあの部屋は客間で、うちの者はやすまない。私は独身時代だからその部屋に泊まっていた。また次の晩の二時頃それがでてきた。こんどははっきり見えた。

子供であった。男の子供で白っぽい着物を着て、おかっぱ頭であった。立って私のほうを見ていた。

すると一瞬ざわっとなって、体が苦しいようになった。そしてまもなく自由になった。これだ、座敷わらしはと私は思った。それを私は三晩つづけて見た。家に泊まるのは今夜で終わりだという晩にまた現れた。

今度は子供の後にもう一人見えた。それは女であった。その瞬間私の母ではないか、その幽霊ではないかと思った。私の母は私が十四才のときお産で亡くなっている。しかしその母より若く見えるし、それに御殿女中みたいな内かけを着ていた。私はこの子の母であろうと考えた。


 私のほかにもこれを見た人がいる。

 野原正勝(盛岡営林署長)の部下であった右京仁助という人がここに二日泊まった。盛岡に帰る朝、信吾が右京を見送りに行った。

その時お宅に魂の入った母と子の名作の人形があるか聞いてくれというのであった。何もそんな物はない、どうしてこんな事を聞くのか、私はそれを聞きたいと言ってやった。お客様は私の返事を待って、十時の上りの列車で行くと言って待合室に居るとの事であった。

信吾がもどって来ていうには、一番先の泊まった晩、子供が出て来た。それから母親らしい人が見えて物は言わなかったが、こっちへ来いというしぐさで襖をあけて次の部屋に入って行ったという。それでお聞きしたかったというのであった。

 北海道の釧路の青年が来て泊まったことがある。朝私の部屋に来て、座敷わらしというものは何人に一人ぐらい見えるものかと聞かれた。私は千人に一人ぐらいのものだろうと答えたら、その青年は私も見たという。それはどんなものかと聞くと、白い着物におかっぱ頭の男の子で、青いちゃんちゃんこみたいなものを着ていたというのであった。

 この青年が来る二ヶ月程前のことであるが、東京の松本さんという人は事業家で、盛岡に時折出張することがあり、ここへも来られた。この人とは初対面であったが、当家に現れる座敷わらしと母らしき女は高貴の方だと言われている。今は寒い季節であるからこの青いちゃんちゃんこを着せてやりたいと言って高島屋から買って持って来られた。

座敷わらしのお堂があるのでそれに収めた。松本さんはこの着物は長く置けば色がさめてよくないから一晩おいたら下げて誰かに呉れてやりなさいと言われたので、それを私は近くの女ごわらし(女の子供)にくれてやった。

 釧路の青年はこの事を知っている筈がないのに、青いちゃんちゃんこみたいなものを着た座敷わらしを見たというのであるから不思議である。

 岩手の県北あたりで私の家以外に、江刈の村木の家、倒産して今では居ないが伊保内の小野寺、侍浜の久慈家等に座敷わらしが居るという話がある。これ等の家は私の家と親類関係にあるので、座敷わらしはどういうものかを聞いてみると、私のうちの座敷わらしとは全く違ったもので、まことに明るい話である。

昔は大家族で飯を食う家などで、その時一人知らないわらしがまざっていて、それが一体どこのわらしだか誰も知らなかったり、或は庭で鬼ごっこしているのを見ても、知らないわらしが一人まじって遊んでいたとか、全くユーモラスなあかるい話である。

 私の家のように夜中に枕元に立つというまことに深刻なのはどこにもない。私の家に出るのも一般には、座敷わらしだと云われていて、近頃は緑風荘といえば座敷わらしの代名詞みたいに全国中に知れわたっているが、これは他のものとは違うと私は思っている。

 いつか遠くから小学生が兄弟で来た。こんな小学生をと思っていたらすぐその母から電話があってよろしく頼むと言うのであった。ところがこの子供等にも私の家の霊が見えたというのである。純真なこうした子供等に見えるらしい。今年になってその父親と長男が来て行った。
 このような霊は純真な子供とか感覚の鋭い女性などに見る人が多いようである。

女性にはこうした能力が勝れているのであろう。ところが私の家の霊は昔から女には見えないと言い伝えられている。

見えないのではなく私のところのその座敷には女が泊まれなかったかったからである。

 田子一民氏もここの霊を見ている。

見たということでは、これは私の本当に信ずべき一人であると思っている。二・二六事件(昭和十一年)の直後で二日泊まって行ったことがある。その時見たのである。子供が見えた。

旧家にはよくあることだと聞いていたが初めて見たというので、私は本当に見たのですかと問うと本当だよという。それなら私が見た霊についてお話ししましょうといってくわしく話してやった。

座敷わらしを見た人は立身するといわれている。それから四年後、田子氏は衆議院の議長を勤めた。


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