二戸市商工会

九戸城トップへ>>>

商工会トップへ>>>

◆発掘調査 歴史九戸城跡◆

1.はじめに

 九戸城跡は昭和10年6月7日に国指定史跡に指定され、昭和54年度から国庫補助金による指定地の公有化事業が開始されました。

平成9年度までに買上対象面積185,248u(指定地総面積211,911u)のうち91,777uが二戸市によって買い上げられています。

 また、公有化事業の進展に伴い、平成元年度からは、発掘調査と堀の養生、石垣の写真測量等を中心とした史跡整備事業に着手し、現在、学識経験者のよって構成される「史跡九戸城跡整備誘導指導委員会」、文化庁、県文化課の指導の下で、九戸城の保存と活用のための史跡公園の早期実現を目指し、本事業を展開しています。

遺跡の所在地 岩手県二戸市福岡字城ノ内地内(史跡指定地)
調査期間 二戸市教育委員会
調査指導
文化庁文化財保護部記念物課
岩手県教育委員会文化課
史跡九戸城跡整備指導委員会
調査担当者 二戸市教育委員会 社会教育課 西澤宗治
調査期間 平成11年5月11日〜平成11年10月15日(予)
調査箇所 二ノ丸平場(二戸市福岡字城ノ内85番地内)
調査面積 780u

2.九戸城跡(福岡城跡)について

 九戸城は本丸、二ノ丸、石沢舘(外舘)、若狭舘、松ノ丸、三ノ丸の6つの曲輪からなり、東西800m×南北500m、34万uで東京ドームの約10倍の広さです。城は西側を馬渕川、北側を白鳥川、東側を猫淵川と3つの河川に囲まれており、河岸段丘の変化を巧みに生かし築かれています。

 城は九戸城落城時の城主九戸政実の4代前の光政が明応年間(1492〜1501年)に築城したと考えられています。築城後、城は九戸氏の本拠として機能し、九戸氏には着実に勢力を拡大します。しかし、政実の頃になると南部信直との対立、またそれに伴い秀吉による奥州仕置が開始され、天正19年(1591年)に九戸城はあえなく落城します。

落城後、秀吉は藩生氏里に九戸城を豊臣流の城に改修することを命じ、改修後、南部信直に城を授けます。信直はこの城を「九戸城」から「福岡城」と名を改め、九戸城は福岡城となり南部氏の本拠として機能していくことになります。

その後、福岡城は信直の子利直が盛岡城に本拠を移すことになり寛永13年(1636年)に廃城となります。

 このように九戸城には、東北地方北部の中世城郭(九戸氏居城:九戸城)と近畿地方の近世城郭(南部氏居城:福岡城)の両方の特色を兼ね備えており、曲線的なたたずまいの中世城郭(九戸城跡)がベースになっていますが、直線的な造りの近世的な部分(福岡城に改修された部分)が見られます。

3.平成11年度の調査について

ロ.検出遺構
 平成11年度の発掘調査ではこれまでにPit100個程度、土抗17個、竪穴遺構5棟、塀跡状遺構、炉跡2個検出しています。詳細については以下のとおりです。

@SI1 竪穴遺構
 調査区中央南側で検出しました。東側3.4m、南北−mの長方形で周溝をもつ竪穴遺構で、南壁西側に出入口をもちます。入口の幅は1.28mで、建物の軸方向はN−50°−Eです。柱穴は16個検出し、このうちP9、P10が出入口部の柱と考えられます。床面からの出土遺物はなく、遺構の時期は不明です。

ASI2 竪穴遺構
 調査区中央南側、SI1のすぐ東側で検出しました。東側3.7m、南北4.6mの長方形で南壁東側に出入口をもちます。出入口の幅は1.52mで、建物の軸方向はN−55°−Eです。柱穴は11個検出し、このうちP6〜9が出入口部の柱と考えられます。床面からの出土遺物はなく、年代は不明ですが、SI1と軸方向が近いことからSI1とそれほど差がない時期の遺構だと思われます。

BSI3、4、5 竪穴遺構
 現在調査中で次のことが確認されています。
・SI3−SI1と同様周溝をもつ。
・SI4−SI3を切って建てられている。
・SI5−床部分に集石が存在する。

CSA5 塀跡状遺構
 調査区西側で検出しました。幅20〜30cm、長さ15.6m、深さ20〜30cmの溝側面に浅い柱跡状の穴が不規則に並びます。幅方向はN−45°−Eでありほぼ段差と平行します。出土位置及び軸方向から、高い区画と低い区画を隔てる役割をもった施設である可能性が大きいと考えられます。

DSX16炉跡
 調査区北側、SK45のすぐ東側で検出しました。加工が容易な砂岩を切り出し、方形に組み合わせた石囲炉です。東西0.86m、南北0.86mで石組み内部には焼土が分布しています。また、焼土面の近い埋土に鉄滓が含まれていました。時期については不明です。

ESX17炉跡
 調査区東、南側で検出しました。SX16炉跡同様、砂岩を方形に組み合わせた石囲炉です。東西0.4、南北0.4mで石組み内部には焼土が分布しています。時期については不明ですが、石組みの素材及び、炉の向きからSX16炉跡とほぼ同時期の遺構である可能性が大きいと思われます。

FSK32〜45土抗
 時期は不明、後世の撹乱の可能性が大きいものも含まれます。規模及び出土遺物については次のとおりです。


SK32 方形 最大径1.76m 検出面からの深さ0.70m 出土遺物 古銭36枚
灰釉陶器1片
染め付け1片
SK33 不正円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 なし
SK34 円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 なし
SK35 楕円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 なし
SK36 楕円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 なし
SK37 楕円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 なし
SK38 円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 なし
SK39 楕円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 なし
SK40 方形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 なし
SK41 楕円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 なし
SK42 円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 なし
SK43 不正円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 なし
SK44 楕円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 なし
SK45 不正円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 (鉄滓)
SK46 楕円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 (鉄滓)
SK47 円形 最大径 検出面からの深さ 出土遺物 なし

4.まとめ

 本年度調査で主に遺構検出を行った面(調査区内最上部の生活面)は、地表から深さ30〜50Cm(表土のすぐ下)地山面です。

本丸の様に盛土で整地された様子が全く確認されなくまた、同じ検出面で中世の竪穴遺構が検出されたことから、同一面に数時期の生活面が重なっているものと考えられ、この平場は福岡城改修の際、大がかりな工事等は行われなかったと思われます。

このことは、これまでの発掘調査で調査することが出来なかった九戸城時代の遺構が最上部の生活面で確認できるようになり、今まであまり解らなかった九戸城時代の城の様子を知る手がかりが今後の調査で得られる可能性がでてきたことになります。

しかし、同一面に複数の生活面が存在するために、今後、どの遺構がどの時期にあたるのか、またどの遺構と遺構が同時期のものなのか、遺構の構造、軸方向、地形との兼ね合いなど検討していく必要が出てきました。

九戸城トップへ>>>

商工会トップへ>>>

本ホームページに掲載の記事・写真・映像などの無断複製、転載を禁じます。
すべての著作権は二戸市商工会に帰属します。

〒028−6101 岩手県二戸市福岡字横丁24  
TEL:0195−23−4361   FAX:0195−23−4363  
メールアドレス:nishoko@rnac.ne.jp
Copyright:(C) 2007二戸市商工会.All Rights Reserved.