かねがさきの民話 〜フタダリ(ニ渡り)〜

フタダリ(二渡り)

 フタダリというのは、金ヶ崎の西地の方、千貫石堤の近くにある地名でがんす。「二渡」と書いで、このごろは「フタワタリ」と言うようになったども、昔はずーっと、フタダリと言ってたもんでがんす。フタダリは「再び」で、二度目のごどでがんすべな。

昔、八幡太郎義家が、安部貞任の弟、宗任を征伐するとき、休んだ所がこの二渡だったどっしゃ。義家は、駒ケ岳の山裾の方にある杉の宮という所で、戦さに勝つように祈ってがら、北オナレェを通って、オナレェがら突き出はったような八幡館という山さ辿り着いたんだど。

そして、見晴らしのえぇところで、どっちの方がら攻めればよいか決めるべと思ったど。そごは八幡館の東端の鼻っぱしで「矢落とし」と言われてるどごろで、そごがら占いの矢をぶって(うち放って)やったずも。矢はぐんぐんと飛んでって、見えなぐなってしまったずも。そんで、どごさ刺さったが見極めるベと、ブナ坂まで来て、やっと矢の刺さったどころを見定めだっずも。

義家は「わがった、よし」と言って、山の陰になってるフタダリで、疲れている馬っこだの兵隊だのを休ませだっだど。その記念に、フタダリさ杉を植えたずも。その杉は、大きくなってがらは、新田あだりからも見えだったずも。いづ、だれが伐ったもんだがわがらねぇども、昭和まで残ってだ根っこ株のさしわたし(直径)は、一メートル以上もありゃした。そんな大っきなのが十二、三もありやしたったな。

 義家がフタダリまで来るのには、杉の宮から尾根筋を辿って、堀りを掘りながら、宗任の方から見つけられないように、みんな隠れてきたようでがすな。その堀跡は、土に埋まって浅くなったけんとも、今でもチッ坂のあたりには残ってます。

 義家はそのようにして、森山まで行き、また矢の刺さった所を見定めて、そっから宗任のいる鳥海の城を攻めたずも。「フタダリで休んだおかげで勝ったのだ」と言ってだったどっしゃ。

 



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