かねがさきの民話 〜百岡城落城物語〜

百岡城落城物語

 昔むかし、豊臣秀吉の頃のことだったずも。秀吉の小田原攻めに加わらねがった奥州勢は、秀吉を怒らせてしまったずもや。秀吉は秀次を奥州仕置の総師にして、蒲生氏郷だの石田三成だのの武将だちが、一万五千の大軍で攻めてきたんだど。

 ここらあたりさ来た大将は、浅野長政だっだずも。長政は、まず百岡城のことを調べたんだど。その頃の百岡城は本丸から二の丸、三の丸まであって、城のまわりさは七重に堀をめぐらせであったずも。百岡城主は柏山摂津守といい、いまの胆沢地方を治めていたったんだど。

 長政はこの城を攻め落とすには、なんたって七重になっている堀の水をなくさねばわがねと考えたど。掘りさくる水は、ずっと西の方がら引いていだったずも。水を遡っていったれば、その取り入れ口は一の越戸の穴山というどころだったずもや。そごでその取り入れ口さ、七、八駄の昆布をぎゅうぎゅうと詰めこんだんだど。昆布は水を吸って膨らんで、だんだんに水が出なくなったんだど。

 今度は、掘りさ残ってだ水をなぐさねばねぇ。浅野方から選ばれた勇ましい人だちは、斉林寺の後ろの山を切り開いて、せっせど水落しをしたんだど。掘りはとうとう空掘りとなってしまったど。

 百岡城さこもっていだ兵だちは、あわてふためいだど。そこで、米蔵から米俵を出してきて、掘りさ米を撒いたずもや。遠くがら見れば水があるように見えだったど。ところが、いづのまにが、カラスだのスズメだのいっぺ飛んできて、米粒さっぱと食ってしまうんだど。なんぼ追っ払ってもわがねがっだど。

 胆沢川の南に陣取っていた浅野軍は、この様子を聞き、兵を進めたずも。まず、十日市からかぶら矢を射って脅しをかけ、柏山方をびっくりさせたずも。すぐに、どどうっと大勢で胆沢川を渡って二手に分かれ、一方は城の正面の門から、一方は手柄坂がら側面攻撃をして、陥落させてしまったんだど。

 天正十八年(一五九〇年)8月なかばのことだったと。



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