かねがさきの民話 〜三ケ尻 三次〜
三ケ尻三次

 昔、伊達藩だの、南部藩だのと言ってた頃のことだずも。伊達藩の北はしにあだる六原のあだりは、南部藩からの侵入を警戒するどころだったずも。

 そこで、伊達政宗の十男、伊達兵部宗勝という人が、六原の道所森さ城を建てで、守りを固めようと思ったずも。城の大きさは、東西38間(約70メートル)、南北44間(約80メートル)の計画だったど。城を造るのに必要な金は、四万両とも四十万両ともいわれ、その大金は、工事を指図する普請奉行が持っていたっだど。普請奉行はまず設計図を作って、地割りをして、南町、東町、二の町、上ノ町などと、城下町の町割もしたったど。そして、南町に仮の陣屋を建てでから工事を始めたずも。

 工事は、六原やその近くがら集められた大勢の人夫によってどんどん進んだずも。モッコで土を運ぶ人、その土を平らに均して土盛りする人、それを固める人と、お祭りみでぇな賑わいだったど。

 ところが、いづの間にか、四十万両の工事資金が盗まれていだずもや。「こりゃ大変だ」というごとになって、工事を止めて犯人を探したずも。何人か怪しい者を捕まえて取り調べだども、さっぱりわがらねぇがったど。

 それも無理のねえ話なのっしゃ。盗んだのは三ヶ尻三次という大盗賊だったずも。そして「金を盗め」と言いづけたのは、伊達藩の江戸詰家老、母体越中守という人だったど。家老が三次に工事の金を盗ませたのは、伊達兵部が、伊達藩の三代目の殿様を亡き人にして、自分が藩主になろうとたくらんでいるのを見抜いていだからだっだど。伊達兵部のやることを失敗させるためだったんだベな。だがら家老は、同志の侍屋敷に三次をかくまっていたんだど。

 三次の方は、自分の腕前が伊達藩の家老ともある人に認められたのを喜んで、二つ返事で引き受けたんだベな。忍者のように音もたてねぇで忍び込んで、やすやすと四十万両の大金を盗み出したのだものな。三次はその金を、道所森がらずっと西の方さ埋めたずも。それで、そのあだりを金森というようになったんだど。



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