かねがさきの民話 〜白系姫〜

 
白糸姫 その1
白糸姫

 昔むかし、前九年の役だの後三年の役があったころのことだったど。江刺市伊手の山の中に、田束(たつかね)山自生院という天台宗のお寺があったずも。

 そこには、背が高くて、顔立ちもきれいな女の人が住んでいたったずも。お寺には、うんと強そうな髭面の武士も十五、六人はいて、みんなその女の人の家来だったど。

 いづからその寺に住みついだんだが、里の人だちは誰もわからねがったずども、どごからどもなく噂が伝わってきて、だんだんに名前や家柄がわがってくるようになると、みんなは「御堂さま」と呼ぶようになったど。

 みんなが「御堂さま」と言っている人の名前は、ほんとは「白糸」といって、仕えている武士たちは「白糸姫、白糸姫」と敬まっていたど。実は白糸は、安部頼時の奥方だったんだど。

 白糸のふた親は、身分の低い人だったずもや。そこで、ここらを治めていだ頼時に嫁がせる時、藤原道長が名義だけの娘にしたんだど。「白糸姫」と呼ばれるようになったのはそのあたりだべ。道長という人は「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」という歌をつくるほど、政治を思うまんまとった人で、御堂関白という最高の位をもってだったと。んだがら、白糸姫も「御堂さま」と言われたんだべ。

 そのような人の娘が、なして伊手の山中に隠れていたかといえば、白糸姫は、安倍貞任に捕まった義家を助けてやったごとで、貞任を怒らせだからだと。そのうちに安倍軍が負けいくさになってきたずも。夫の頼時は流れ矢に当たって死んで、藤原道長も亡ぐなって、二男の貞任は謀反人として、八幡太郎義家に攻めたてられていたがらだずも。義家に攻められた貞任は、逃げながら戦ったずども、とうとう防ぎきれなぐなって、盛岡の厨川の柵で負けて死んでしまったんだど。

 貞任を滅ぼした義家は、凱旋の途中で白糸姫を探し出して、金ヶ崎に城を造らせて住まわせたんだど。その城を、ここらの人だちは「白糸城」と呼んでいだっだど。


白糸姫 その2
白糸姫

 昔むかし、源義家が安部貞任を退治にきたどきのことだったど。義家は、はじめの六年の合戦では負け通しだったずもな。そんで、貞任軍に生け捕りにされで、鳥海(とのみ)の柵さ押し込まれてしまったずも。

 義家は、なんとか城(柵)から逃げるベど思って、貞任の娘の白糸姫を口説いたんだど。「おれを逃してくれれば、夫婦になってやる」ってな。義家はいいおどごだったずもや。義家の言葉に白糸姫は迷ったど。「逃げても、あなた方はこの戦さには勝てません」と言ったずも。「いや、貞任が持っている神通の巻き物さえ手に入れば、必ず勝てる。そして、そなたと夫婦になろう」。白糸姫は、義家を信じて、貞任の大事な巻き物を盗み出してしまったんだど。

 こうして神通の巻き物を手に入れた義家は、城から逃げていったずも。巻き物には「吐く息の見える敵ばかりを討てば勝つ」と書いてあったど。城さ立ででる人形は、白い息を吐がね。案山子(かかし)にだまされるなっていうことだったど。

 次の戦いで貞任軍は負けてしまったずも。

 貞任は白糸姫が義家と通じていたことを知ったずも。そして戦さの掟だがらって、娘の白糸姫を捕まえ、生き埋めにしてしまったど。それがら、盛岡の厨川さ退却してったんだど。

 厨川の柵を攻めて戦いに勝った義家は、白糸姫のことを知り、哀れに思ったずも。「白糸姫よ、そなたは親不孝をしてしまったけれども、天下統一という忠義の道によく尽くしてくれた」と言って、姫の菩提を弔うために、堂を建て、十一面観音をまつったんだど。それが、いまでも残っている本宮観音堂だど。

 



Copyright (C)2001.Kanegasaki Town society of commerce and industry
E-mailFkanesho@lily.ocn.ne.jp