かねがさきの民話 〜灘巻与治右ェ門〜

灘巻与治右ェ門

 昔むかし、三ヶ尻の瘤木に与治右エ門という大泥棒がいだったど。手下は何百人ともいわれ、遠くの方まで荒らしまわり、人を殺しては灘巻に投げ込んでいだったど。

 灘巻というのは、瘤木裏を流れる北上川の難所で、崖っ淵になってるどこだっだど。ここは流れが速くておっきな渦がぐるぐると巻いてで、吸い込まれるようなおっかねぇどごだっだど。

 ある時、与治右エ門は小倉沢と大倉沢で人を殺し、いづものように灘巻に投げ込んだっずも。まだ人を殺したというので、数十人の捕り手が来て「ご用だ、ご用だ」と、与治右エ門の隠れ家を取り囲んだんだど。「何十人来たたて何でもねえ」。与治右エ門は打ちワラ(しごいて弾力をもたせたワラ)を持つど、ニャーッと笑って、追っ手をはねのけてザブーンと灘巻さ飛び込んでしまったんだど。

 捕り手たちは渦を巻いでる灘巻を見ながら「苦しぐなって浮かんでくるべ」と言ってだんだど。だども、いづまで待っても顔を出さなかったど。「なんぼ与治右エ門だったたで、こごさ入っては助からね」「さっぱり出て来ねぇな。おだぶつだな」。みんなあきらめで引き上げで行ってしまっだど。

 それがらまもなぐして、与治右エ門が渦の中からスーッと出はって来たんだど。手にはしっかりとワラジを一足にぎっていたっだど。たまげたごどに、灘巻の中さいる間に打ちワラでワラジを編んでいたったんだど。

 この様子をじっと見てだ村の人があったずも。話はすぐに村中に広がったずも。「水の中で息つけるのかあ」とか「カッパでねえのか」とか「灘巻がらどごがさ抜け道があるんだべ」とか……。

 このことがあってから与治右エ門は灘巻与治右エ門と呼ばれるようになったんだど。また、波をこわがらねえごどがら、波右エ門とも言われるようになったんだとさ。



Copyright (C)2001.Kanegasaki Town society of commerce and industry
E-mailFkanesho@lily.ocn.ne.jp