幻の鉄道 その1


東北鉄道鉱業株式会社

 一戸町には南北にJR東北本線が通っている。一戸町誌によれば、当時の日本鉄道株式会社によってこの路線が開通したのは、明治24年9月1日。この時は奥中山、小鳥谷の二駅。一戸はそれから遅れること2年後の明治26年2月15日、小繋は明治42年9月21日に開設された。当時は私鉄線として設置された。基幹線としては東海道線についで2番目の完成であった。東北地方は関東、関西に比べ立ち後れているというイメージが強いが、鉄道に関する限り時代の先端だった。

 当初、日本鉄道株式会社としては一戸停車場を蒔前平(現一戸高校の北側)に設置して、路線を小清水から吉王寺、実相寺を通り、広全寺の石段辺りを横切り、一戸小学校庭を経て、砂森、岩舘村に出て、姉帯村、平糠辺を貫き岩手郡に出る計画であった。 しかし一戸の一部有力勢力者達は極力鉄道の計画を拒んだので、現在の鉄道路線となったという。明治初期の住民達は鉄道による利点よりも害悪のほうが大きいと考えたのである。

 もっとも、県都盛岡でさえ鉄道に反対する人は多く、盛岡には駅が作れないという事態にまで発展した。時の県知事石井省一郎は多くの反対を強引に押し切り駅の設置を決めた。だが、駅から市内に通ずる橋をかけようとしたとき、そのしこりから市会の協力は拒まれ工事ができなかった。知事は怒って、ついに町内の消防組の力を借りて木橋を完成させる。これが今の開運橋の前身というが、何ともすさまじい。だが時代と共に鉄道の重要性は深まっていく。そして、小鳥谷から太平洋までの鉄道が計画された。

  明治、大正、昭和へと時代が進むにつれ日本の工業化は急速に進んでいった。当時この工業を支えたエネルギーは石炭を始めとする鉱産品が中心であった。

 明治末期には、下閉伊郡小川村大字門(現岩泉町)など小本川沿いにある炭鉱脈や、小鳥谷から葛巻にかけての珪石鉱脈が有望視された。

これを開発し一大事業を実現しようとしたのが東北鉄道鉱業株式会社であった。何より、葛巻・岩泉に眠る多量の石炭鉱、木材等の運搬には、鉄道が不可欠として、東北本線小鳥谷を起点に太平洋に至る壮大な鉄道路線が計画されたのであった。 


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