開業 明治24年9月1日 二戸郡一戸町小鳥谷字中屋敷

 小鳥谷駅ができたのは明治24年。一戸駅より2年前の事であった。この鉄道が出来たことで小鳥谷はどんなふうに変わっていったのだろうか。大正14年にまとめられた「小鳥谷村郷土資料」に当時の状況が書かれている。少し引用しよう。

 「一村殆ド林野ナレバ村民ノ生業ハ勢林産物ニ求メザルベカラズ特ニ村内鉄道ノ便アリ之レ自然ノ好造林地タルナリ自然ニ意ヲココニ用フルモナク鉄道ノ開クル共ニ伐ルニ任セシテ造成スルナク鬱蒼タリシ森林モ日々荒廃ニ帰セリ・・」

 これによると、「もともと山村であった小鳥谷では勢い林産物で生計をたてていたが、鉄道が通り状況は一変した。あちこちの森林は次々に切り出され鉄道で送られて行った。だが、木を切るばかりで造林を顧みる人はいなかったので山は次第に荒廃していった」と大いに嘆いている。木炭、松そして鉄道の枕木用として栗の木などが小鳥谷の駅から運ばれていったという。

 さらに嘆きは続く。「林業でもうけた人達は遊びや博打にうつつを抜かし、酒や女に狂った。この因果で山は死んでしまった。これではいけないと最近造林の必要を訴える人もいるが実行には至っていない。自然の荒廃に留まらず人の心までもが荒廃してしまった。小鳥谷の人々は質朴勤勉で根気強く情も厚かったのに」と切々と書かれていた。

 鉄道の開通は確かに経済の発展や物流の促進など偉大な効果ももたらしたが、一方でこのような弊害もまた引き起こした。手放しで喜んでばかりはいられなかった訳である。

 

 ところで、このわずか一年後の大正15年11月4日。小鳥谷駅前では盛大な起工式が行われた。東北鉄道鉱業株式会社が小鳥谷から太平洋までの横断鉄道を計画し着手したのであった。賛否両論は常にあったが、当時は鉄道に期待すること甚だ大きかった。

 その内容はまぼろしの鉄道に詳しいので省略するが、結果として、この計画はとん挫した。もしこの路線が開通していたら小鳥谷はいったいどんな町になっていたのだろう。


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