開業  明治26年2月15日 一戸町西法寺 駅舎建築 昭和43年5月

 東北新幹線の盛岡−青森間が開業すると、現在の東北線は沼宮内−八戸間がJRから経営分離されるという。地元の人々にとって、在来線の廃止・存続が大いに注目されているJR東北線だが、現在の鉄道の衰退ぶりはは誰の目にも明らかだ。東北新幹線が開通を迎えたとき、在来線は、そして一戸駅はどのような運命を迎えるのだろう。

 一戸の町に初めて駅が出来たのは明治24年9月1日。だが、一戸駅ではなく小鳥谷・奥中山の2駅であった。一戸駅が出来たのはそれから2年後の事だった。一戸町誌によれば、当時の町民は鉄道に対し「害あって益なし」と反対の姿勢が強かったという。

 当初、日本鉄道株式会社は一戸停車場の設置を、蒔前平(現一戸高校の北側)に計画。路線は小清水→吉王子→実相寺→広全寺(石段辺りを横切り)→(当時の)一戸小学校校庭→砂森→岩舘村→姉帯村→平糠付近→岩手郡へと抜けるものだったが、地元の一部の有力勢力者達は鉄道に不信と疑惑を持って、この計画を大いに拒んだ。結局計画は変更され現在の鉄道路線となったが、その為に茂谷山麓を切り開くなど大変な工事となった。

改築前の一戸駅

 鉄道建設における一番の難工事とも言われたのが一戸〜北福岡(現二戸)間、1,057mの「鳥越トンネル」であった。明治22年3月一戸と北福岡の両側から掘削が始まった。だか、総てが「手堀り」の時代であり完成には1年8ヶ月もかかった。

 難工事の様子を一戸町誌より引用すると、「90m程掘り進むともう真っ暗、石油のカンテラ(照明装置)を吊して続行したが、ススがやたらに多く、シラシメ油に変えた」。ススでのどの奥まで真っ黒になったという。

 「どうやら200m程進むと、今度は空気が入らなくなった。もちろんパイプの換気装置はない。いろいろ考えた末、約30Cm四方の杉の箱をたくさん作り、箱詰めにした空気を昼夜兼行で、奧の工事現場まで送る方法をとった。それでも、トンネル内は、ハッパのほこりと硝煙が充満し、目もあけられないことがしばしばだったという。トンネルの入り口には資材供給係がいて、一足八銭のワラジが飛ぶように売れたという話がある。それほど足場が悪かったのだろう」とある。ちなみに昭和43年に完成した同区間の新トンネルは約十ヶ月で完成した。

一戸駅の構内


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