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昭和4年の春、朴訥そうな人が私の店に来て病床の兄に会いたい
というので二階に通したが、この人は鈴木東蔵という方で、石灰岩を
粉砕して肥料をつくる東北粉砕工場主であった。
兄はこの人と話して いるうちに、全くこの人が好きになってしまった
のであった。
しかも、この人の工場は、かねて賢治の考えていた土地の改良には
是非必要で、農村に安くて大事な肥料を供給することが出来るし、
工場でも注文が少なくて困っているということで、どうしても手伝って
やりたくて致し方なくなった。
そのため病床から広告文を書いて送ったり、工場の拡張をすすめたり
していたが、だんだん病気も快方に向かってきたので、その工場の
ために働く決心を固め、昭和6年の春からその東北採石工場の技師
として懸命に活動をはじめたのである。
(宮沢清六著「兄のトランク」から)
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